大判例

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東京地方裁判所 昭和63年(刑わ)2072号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

理由

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、私立高校を卒業後、芸能プロダクションに通って歌手としての勉強を続け、一時コロンビアレコードに所属し○○○○の芸名で歌手となったが、全く人気が出ず、約二年間で歌手を辞め、昭和四三年夏ころからデパートで婦人服などの宣伝販売を行ういわゆるマネキンとして稼働するようになった。この間、被告人は、Aと同棲し昭和四八年一〇月二六日男子をもうけてBと名付けたが、両親にAとの同棲を反対されたため婚姻届を提出していないこともあって、Bの出生届を提出せず、同五四年Bが学齢に達したにもかかわらず、小学校の入学手続もとらず就学させなかった。

被告人は、Aが所在不明となった後の昭和五三年ころから、男性二人と情交関係を持つようになり、同五六年一一月二一日長女Cを、同五九年九月三日次女Dを、更に同六〇年九月一一日三女Eを出産したが、この三人の子供についても、Bと同様にいずれもその出生届を提出しなかった。

被告人は、昭和六二年九月から東京都豊島区〈住所省略〉の××××二〇三号室に子供四人と居住するようになったが、被告人らの当時の生活状況は、被告人がマネキンとして稼働して得る収入と情交関係にあった男性二人から時折渡される金員で生活し、被告人の外出時には、長男であるBに妹らの世話を任せている状況にあったところ、被告人は転居にあたって預金を使い果たした上、右のようにして得る収入等も少なかったため、生活費に窮し、同年一〇月からは水道代及びガス代を、同年一一月からは家賃、電気代等を滞納するようになり、また、一方、長男Bは、次第に被告人に反抗的になるとともに、遊び友達ができて妹らをマンションに置いたまま外出して遊ぶようになったため、被告人はBが妹らの世話をしないとして度々叱責していた。

被告人は××××に転居したころから、食品卸業を営むF(当時五五歳)と知り合って交際を続け、昭和六三年一月初めころ、妻子と別居していたFから同棲したいとの申し出を受けるに至ったが、被告人は、当時、Fの歓心を買うため同人に対しては、自己が大企業に勤務し子供は大学生の長男一人だけで別居していると嘘を言っていた。

被告人は、前記のように、Fから同棲の申し入れを受け、間もなくして、数日おきに千葉県○○市内のF方に外泊するようになったが、次第に、経済的にも苦しく子供の養育に煩わされる今の生活から逃れ、自己に優しくしてくれるFと同棲生活を送りたいとの強い願望を持つようになっていたところ、被告人は、Fに対して、自己の子供が別居している大学生の長男一人であると嘘をついていたため、自己に一四歳を頭にして幼い四人の子供がいることを告げれば、Fがこれを嫌い同棲生活を断ることは必至であると考え、かくなる上は、Bら四名の養育を放棄してFとの同棲生活を始めようと決意するに至った。

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都豊島区〈住所省略〉××××二〇三号室に居住し、実子のB(当時一四歳)、C(当時六歳)、D(当時三歳)及びE(当時二歳)を監護していたものであるが、前記のとおり、子供を養育する煩わしい生活から逃れ、当時交際していたFとの同棲生活を送るため、幼者で、保護すべき責任がある右四名を置き去りにすることを決意し、昭和六三年一月二一日ころ、右四名を右××××二〇三号室に放置したまま家出して遺棄し、よって、同所において、右Dをして同年七月一八日から入院加療約一か月半を要する栄養失調症の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

判示所為中

各保護者遺棄の点

いずれも刑法二一八条一項

保護者遺棄致傷の点

同法二一九条、二一八条一項(同法一〇条により重い同法二〇四条の傷害罪について定めた懲役刑(但し、短期は保護者遺棄罪の刑のそれによる。)に従って処断する。)

科刑上一罪の処理 同法五四条一項前段、一〇条(一罪として最も重い保護者遺棄致傷罪の刑で処断する。)

刑の執行猶予 同法二五条一項

(量刑の理由)

本件は、被告人が、子供を養育する煩わしい生活から逃れ、当時交際していた男性との同棲生活を送るため、一四歳を頭に幼い四名の実子をマンションに置き去りにして放置し、そのうちの一名に重度の栄養失調症の傷害を負わせたという事案であって、親としての責任を放棄した誠に無責任、身勝手な犯行である。

被告人が本件犯行に及んだ動機は、前記の通り、極めて自己中心的であって、特段酌量すべき余地はない。

被告人は、当公判廷において自室を出てF方で生活するようになった理由の一つとして、当時付きまとわれていたヤクザから逃れるためであると供述しているが、被告人は捜査段階では右のような弁解を全くしておらず、また長男Bをはじめ他の関係者の供述からも被告人の弁解に沿うような事情は窺われず、被告人の右弁解は措信しがたい。被告人が本件犯行に及んだ動機は、結局、幼い子供四名を養育する煩わしい生活から逃れるとともに、交際を初めて間がないFとの同棲生活を送るため、これの邪魔になるBら四名を見捨てたものと認めるほかはない。

しかも、被告人の本件犯行に至る経緯を見ると、被告人の親としての自覚に欠けた無責任な性格が看取できるのである。すなわち、被告人は昭和四八年一〇月二六日長男Bを出生し、以後順次Eまで五人の子供をもうけたのに、そのいずれの子供についても、無責任にも出生届を提出していない。しかも、昭和五四年四月にBが学齢に達したのにかかわらず、小学校の入学手続きをとらずBを就学させなかったのである。被告人は、自らは小、中学校を経て高等学校まで進学し、それなりに、戸籍及び義務教育の機能、重要さ、すなわち、戸籍がなければ、日本人であることの証明さえ困難で、社会生活上種々の不利不便が予想され、我が子が不幸な事態に立ち至ることや、義務教育を受けなければ、我が子が無学文盲のまま放置され、これまた悲惨な人生に追い込まれる状態になることを知りながら、自己の虚栄心から、そのいずれについても何らの手続もとらなかったのであって、我が子の幸福に対する配慮に欠けた被告人の態度は、母親としての責任を放棄したものというべきである。もっとも、長男Bの出生届を提出しなかったことについては、被告人が当公判廷で弁解するように、その父親が届を怠った事情があったかも知れないが、被告人としても、出生届が提出されていないことを知った段階で、しかるべき手続をとるべきであったのであって、それが親としての当然の義務である。また、Cほか三名については、結婚の対象外の男性との間にできた子供であり、被告人が捜査段階で供述するように、出生届を提出するのが恥ずかしいという気持があったのかも知れないが、これも自己中心的で、子供の幸福について配慮に欠けた無責任な態度というべきである(なお、右の点に関連して、被告人は、当公判廷において、前夫のAの残した多額の借金につきヤクザを名乗る金融業者から熾烈を極めた取立てがあったため、住所を知られることを恐れて出生届を提出しなかった旨弁解しているが、前同様、被告人の捜査段階における供述等に照らし、右弁解はにわかに措信できない。)。

本件犯行の態様は誠に悪質である。

被告人は、一四歳のB、六歳のC、三歳のD及び二歳のEを自室に放置すれば、同人らの健康及び生命に危険が生ずるであろうことを十分に認識しながら、自室の冷蔵庫に当座の食事を準備しBに対して現金一万円位を渡したのみで、自己の連絡先を教えることもなく、自室を出て同人らを遺棄したものであって、本件の態様は悪質である。被告人は、当公判廷において、長男のBを信用し同人が妹らの面倒を見てくれるものと思っていたので、BやCらの健康や生命に危険が及ぶことは予想できなかった旨弁解するが、Bは幼稚園に一年余り通ったのみで、学校教育を全く受けていない一四歳の遊び盛りの少年であり、Bが現金を生活費として的確に使う能力も、また自己あるいは妹らが病気にかかった際他に援助を求めるなどの才覚もない社会的適応能力の乏しい者であることは明らかであって、放置されたBが被告人から交付される現金の多くを遊興費として費消し、そのためにB自身及び妹らが飢えに苦しむことになったのはむしろ当然であり、B本人を含め妹らの幼者がいずれも右のごとき悲惨な状態になったことについてBを責めるべき理由はない。

本件犯行の結果はまた重大である。

被告人がBらを放置したことにより、B、C、D、Eは飢えに苦しみ、水風呂に入るという生活に追い込まれ、いずれも生命、身体に対する危険があったのである。特にC及びDは空腹に耐えかね生肉あるいは生米を食するという悲惨な生活状況となり、その中でもDは重度の栄養失調症に陥り、七月一八日に保護された際には少量の食事を摂取しても嘔吐し全身衰弱が著しいため病院に収容され約七日間の点滴を要するほどの重症であり、本件が発覚せず同児がそのまま放置されていたとすればその生命が失われかねない危険な状態にあったものである。更に、Eについても、被告人がEらを遺棄しなければ同児の死亡という悲惨な結果は回避し得たと思われるのであって、被告人の遺棄がE死亡の遠因をなしていると言っても決して過言ではない。

本件犯行の社会的影響も大である。

本件は、母親の身勝手な行為により遺棄された幼児が重度の栄養失調状態で救出され、しかも、被害者である子供らはいずれも無就籍、無就学児であったことにより社会の各方面に多大の衝撃を与え、マスコミにも大きく取り上げられた異常かつ悲惨な事件であって、本件が社会に与えた影響は大である。

前記のような本件犯行の罪質、動機、態様、結果、社会的影響等に徴すると、被告人の刑責は誠に重大であり、被告人は厳しい非難を免れない。

しかしながら他方、被告人に有利な事情も認められる。

被告人は昭和六三年一月二一日ころBら四名を置き去りにして家出して以来、Bらを全く顧みずに放置したというのではなく、二回位自宅に戻って食事の世話などをしたり、時たまBと会いあるいは電話連絡をとるなどして子供達の様子を聞き、生活費として毎月七万円余りの金員を電信為替で送金するなどしていたのであって、この点は被告人に有利な事情として考慮しなければならない。

また、被告人は昭和六三年七月二三日緊急逮捕されて以来三か月余りの間身柄を拘束されており、それなりに社会的制裁を受けたと思われるとともに、反省の機会を与えられ、捜査段階での供述に見られるように、本件犯行の重大さ、自己の行為の無責任さを悟り、幼い子供達にとって母親の愛情がいかに大切であるかを自覚しつつあることが窺われる。

更に、被告人と同棲していたFが今後被告人と婚姻し子供達を引き取る旨を当公判廷において真摯に誓約し、既に新しい住居も定め被告人らと生活する基盤を確立していることが認められる。

以上指摘したような被告人に有利、不利な一切の情状を総合勘案すると、被告人に対しては、再度母親としての自覚を促すとともにその将来を戒めつつ、今回に限り刑の執行を猶予し社会内における自力更生の機会を与えるのが相当である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官高橋省吾)

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